季節は梅雨から夏にガラッと入れ替わったようです。今日は今年初めてセミの鳴き声を聞きました。梅雨明け宣言か来週あるのではないでしょうか。猛暑酷暑の日本ですが、ヨーロッパでは40℃超えの暑さでなくなった人がたくさん出ているようです。あちらはまだまだエアコンの普及率が低く石畳の道はまさに焼け石状態なのでしょう。
私は先日、渋谷松濤美術に高島野十郎展を観に行きました。没後50年の節目を記念し、開催されています。野十郎は、一度作品に惹かれると忘れられない画家です。岸田劉生のような派手さはありませんが、静かに見つめているうちに、心がざわざわする作家です。
髙島野十郎(1890〜1975)は、福岡県久留米市生まれの洋画家です。東京帝国大学(現在の東京大学)農学部水産学科を首席で卒業するほど優秀でしたが、安定した道を捨てて画家になることを選びました。しかも師につかず、画壇にも属さず、生涯ほぼ独学で自分の理想の絵を追い続けました。
野十郎は、人嫌いで美術団体や流行と距離を置いて活動しています。というのが一般的な説明ですが、私は画という世界がとても閉鎖的で美大(特に芸大)史上主義な場所だったため相手にされなかったとが真相では?と思っています。そのため生前はほとんど知られず、本格的に評価されたのは亡くなってから約10年後でした。現在では日本を代表する写実画家の一人とされています。
代表作は《蝋燭》
一本の蝋燭だけを描いた作品。《月》 晩年、千葉県柏市で数多く描いた連作です。
私が気になっていたのは《菜の花》です。一面の菜の花畑につがいのモンシロチョウが飛んでいる作品です。モンシロチョウは、画面の中で「動」を感じさせる存在です。菜の花はしっかりと大地に根を下ろした「静」の存在です。蝶の一瞬の飛翔と、植物のゆっくりとした時間。この異なる時間の流れが、一枚の絵の中に共存しています。さらに、手前の衰えゆく葉は死をイメージさせるものとして省略せず、むしろ丁寧に描いています。画面には花の盛りと葉の衰えが同時に存在しています。
野十郎は、蝋燭の炎、月、椿、からすうりなども繰り返し描きました。これらも単なる静物ではなく、「光と闇」「生と滅び」「永遠と一瞬」といったテーマを思わせる作品が多い気がしました。
野十郎の絵は、見る人それぞれが作品の中に自分なりの哲学を見いだせるところが、大きな魅力なのかもしれません。ぜひ一度見ておきたい魅力のある作家です。





