百聞は一見にしかず



 今日も寒さが続きますが、明日からは一転して春を感じられる日が続くという予報が出ています。もうすぐ春ですね♪という言葉が現実になってきました。花粉症が少しあるのでそれが憂鬱ですが、寒いよりは良いと思っています。



 絵師の登場する小説を読んでいます。読んでいてつくづく思うことがあります。それは絵を言葉で表現するのは簡単ではないということです。プロの作家でさえそうなのです。作品を描く動機を絵師に語らせるのも嘘っぽくてこそばゆい...(^o^;)。作品のことを表現するのに登場人物にその感動をしゃべらせる...声も出なくなる...感動の涙...感動で腰が抜ける...なんとも表現が単純に感じます。大袈裟に書けば書くほどなんだか作品と解離していってしまうような感じがしてきました。



 また作品の技法や登場する動物のことを説明する文章を書く...これも何となくどこかの解説を取って付けたような表現になっているように思ってしまいます。間違いがあったら困るから専門家の著書や解説を参考にしているのでしょうか。これで作品を見たときの感覚が本当に伝わるのだろうか...と?が浮かびました。そしてやはり作品は見て自分なりの感覚で間違っててもよいから感じることが重要なんだと思いました。百聞は一見にしかず...ということでしょうか。その上でこういった小説を読んで作家やその時代に思いを馳せる...また作品がみたくなる...作品の見え方がまた変わってくる...そんな風に楽しめればよいのかなと思います。



 そしてもうひとつ思ったことがあります。若冲や応挙、長沢芦雪や曽我蕭白を題材にしている作家さんたちの作品には、辻惟雄さんの書かれた「奇想の系譜」の影響が強く見えることです。私はこの本を大学時代ゼミのなかで紹介されました。当時流行り始めていた若冲などの絵師を再考した素晴らしい本だと思いました。辻先生のお話も興味深く拝聴させていただいた記憶があります。



 そんな先生の名著がアートという分野から文学にまで影響を与えていることがとても嬉しく思いました。そしてその影響がもう15年以上続いているんだなあと思うととても感慨深いです(2004年出版)。奇想というセンセーショナルな枠組みで忘れられていた絵師たちに光を当てた先生の功績はこれからも様々な分野に影響を与えていくのではないでしょうか。